夢を見ていました!
 

 
それも7年もの間、一度も覚めることなく夢の中にいたよう

な気がします。 
 

今思えばあれがわが青春であり、最も輝いていた季節でし

た。それはあくまで今までの人生ということで、今後の輝

かしい未来とは同じ輝きでも色が違うという意味です。


私の過去の栄光は中学一年から大学一年までのアスリート

時代のことです。
  

 

私が陸上競技に夢中になっていた時期というのは〔夢〕で

す、それも寝ている時に見るほうのものです。競技を離れ

て六年経つ今でも、季節のにおいなんかを感じたとき、あ

ああのときの試合は・・・なんて思い出がよぎり、時に涙

ぐむことさえあります。
 
 


さてそんな私が競技を初めた理由、それは単純でした。当

初は校内で一番足が速いといううぬぼれからです。


陸上界で活躍する多くの選手同様、スタートは中学の部活

動でした。当時はスラムダンクが空前のブームで、花形と

いえばバスケか、Jリーグが開幕されたサッカーでした。


その二つは競技特性もやるには面白く、それなりにどちら

もこなせたのでしたが、勝利への一番の近道が陸上だと自

覚していたため、陸上部に入部しました。今だからこんな

ことも言えるのですが、走るだけの競技には球技独特の楽

しさは感じていなかったのです。

しかしかけっこにおいては負ける気はしませんでしたの

で、悩んだ末陸上にしました。勝ちたいし、もてたいか

ら。
 
 


入部してからは練習はとりあえず参加していましたが、早

く試合にならないかなといつも思っていました。そこで俺

の速さをアピールしてやる!


ところが初めての大会、東京のある小さな区の大会で予選

落ちをしてしまいました!


足の速さというものは生まれつきのものであると考えてい

た自分はショックでした。これは意味ないかもとさえ思い

ましたね。


しかし先生にトレーニングによって筋繊維は発達し、練習

の積み重ねによって、タイムは縮まると聞かされました。

それから生まれて初めて〔努力〕というものをしました。


皆さんは初めて努力というものをしたときのことを覚えて

いますか?多くの場合こういった悔しさや向上心からくる

ものだと思います!
 
 
 

そうして中学二年では区大会で決勝進出を果たしました。


一冬越えた時点で手ごたえを感じていましたし、100Mで

一秒短縮した自分は又調子に乗りました。


でも練習した分はやはりかえってくるものでそのレース

は・・・


びっくりの優勝という結果がついてきました!入賞をとび

こえての優勝です!


このとき初めて物事において、目指すこと以上の結果を残

した場合、達成感よりもどこか宙に浮くというか、所謂夢

を見ている感覚になるという実感をしました。後になって

思うのはこれこそが人生の醍醐味であるといっても過言で

はありません!
 
 
 

そうすると必然、次は更に上の目標を掲げます。次は東京

都大会です!区のチャンプとして何とか入賞してやると意

気込んだ東京都の大会では、準決勝に進むのがやっとで、

しかもそのレースはブービーでした。これにはへこみまし

た・・・
 

いかんせん上に人がいすぎる現実に絶望すらしました。全

国大会に出てヒーローになってやると意気込んで周りに公

言し、勉強しないで推薦で高校に行くと憚って目立とうと

していた自分ですが、その可能性は冷静に分析してその時

点でほぼ皆無でした。
 

それはそうでしょう?東京都から当時行けても2人の関東

大会でさえ、24番目の自分には到底縁がなさそうなこと

は、馬鹿な自分でも感づいていました。


それ以前にそのレベルのくせに、全国を口にする勢いに今

思えば若さを感じます。しかしそう言った純粋な思いゆえ

に、他に全て何もいらないという思いで冬季練習に突入し

ました。


それからの半年間は試合が無かったのですが、自分との戦

いでした!まさに勝利も敗北も無いまま孤独なレースはつ

づいていく・・・
 

 

翌中学三年はまさしく夢でした!ぐれて行くヤンキー達の

悪い遊びを断り、彼女も作らず、推薦が取れなかったら高

校はいかない決心をして勉強もまったくせず、全てのこと

を捨て過ごした半年で別人になりました。命がけで望んだ

都大会は・・・


予選、全国標準記録に後一歩迫るタイムで、ダントツの一

位通過でした。


決勝では標準記録を突破し優勝という最高のフィナーレを

迎えました。またしてもあの目標以上の達成、宙に浮いて

いる感覚です。


今度はそれが立て続けに起こり、その勢いで関東大会も二

位という、自分の中での快挙でした。もう空を飛んでいる

感覚でしたね。
 

結局その年の全国ランクは8番で奇跡の成長と共に中学生

活は幕を閉じました。


この奇跡こそが自分の原点になっています!やってやれな

いことは無いということを、15の時に身体で覚えまし

た。
 

無事推薦も取れ、偏差値18の自分に5つの学校が来てく

れと言ってくれたので、近くて条件もいい大学付属の学校

へ行く事にしました。


中学時代を振り返ってみると、陸上をやっていなければも

はや手におえない、どうしょうも無い奴になっていた可能

性が高かったと思います。勉強最悪、家貧乏。悪名高い学

校とくれば、ぐれる要素だらけです。
 

ただひとつ自分には足があった!そしてそれを開花させる

環境もあった。頑丈で俊敏なな身体に生んでくれた両親

と、面倒見てくれた先生、支えてくれた先輩後輩。仲間と

周りの人たちには感謝し尽くしても足りません!


本当にありがとう。そんな思いで中学を卒業することがで

きました。

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