小説

□「燃ゆる赤」
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後列から勢いよく馬に乗って走ってきた主の特別待は


目の前で膝をつくと


主君からの主命だと口にした



「同党伽藍のことごとく灰にせよ、人という人、僧侶男女を選ばず生ける者を無
からしめよ」


母衣武者はスラスラと述べた。

「明智殿、おぬかりありまするな」


母衣武者は立ち去ろうとする


「待て」


「何でござる」


武者は少し焦り苛立っていた

常に戦の最中であった

浅井、朝倉軍との戦にも休みにならずとも御帰国という主立があったというのに



「それだけであるか?」

「………それだけでござる」


「………!」


愕然とする

あっけなく腰が地に着くほどであった


(……… 比叡山 …! 焼き討ち …!)


改めて言葉が頭の中で答えた


そのはかりしれない衝撃さ

寒気がした


それを殺れ、と


たった今命令を下された

俺に……!


(絶対にそれはあってはならない…!)






──── パカ…!パカ……!

──パカ…!


馬に乗り無我夢中で信長の隊列の元へ駆け走ってきた

というか逆走である


まだ列は動いてなく信長は蓙であぐらをかいていた

湯漬けをかっ食らっている


馬から降りた光秀は己の覚悟を決して目の前に膝をつく

信長は光秀に気づいていながらも視線は横を向いている


今はこの重臣の端美な顔には気を向けないようにしているようだ


この光秀という男、

深い神仏崇敬者である。

仏心は誰にでもあると思っていたことからそもそもこの目の前の男とのすれ違いの過失が原因だった

信長とは真逆で思想美であり、古典的教養人で神仏の存在を信じるような男だっ


だから信長のような慧敏な男は光秀の考えてることが嫌でも察しがついた


「……なんぞ」

「お屋方様」

「わかりきったことなら申すな」

「…………なりませぬ」

「………」

「比叡山延暦寺のことで」

「言うな」

信長はスッと立ち上がり話を避けようとする


「い、いえ…申し上げなければなりませぬ……叡山の権威がございますれば」


「権威などない」


「七百年もむかしから天子の霊位をまつり、この世を去った霊の群れが極楽に常
住することを保証されておりまする。災いが起こらぬよう日夜不断に祈悼しており、朝廷の尊崇があつ─────」

「汝は坊主か?」

「い、え……違います…」

「なのに神仏云々、物を申すのか…この信長に……」


「尊うものは尊べきかと……」

「………デ、アルカ…」


この口調だと

光秀の説明は鼻から聞く気はないようだ


「…………で、ありまする…」


光秀も敗けていられない



「あの坊主共に加担するのか」

「………い、え…しかし」


確かに今の比叡山の僧は殺生好み、

魚鳥を食べ、女人と戯れ、学問に目もくれず、

仏の前でも破戒三昧の暮らしをしていることは京では噂になっていた。



「何も苦しゅうない。そういう奴らに何の同情を与えというか。予からしては逆
に神が存ずるとするなら、あの坊主共は神を愚弄しているではないか」


「………しかし、いかに淫乱三昧なりとは申せども、根本中堂はじめ幾多の由緒ある伽藍宝物を焼くというのは…」


「理に合わぬか」

「……殿に理があれども世間では通りませぬ。仏に罪はございますまい」

「いや!あるな。そちはあの坊主共が七百年も仏を眼前において置きながら、劫略殺傷をほしいままにして、不埒三昧していることを擁するのか!明らかに仏どもの怠慢ではないか。この悪僧共を今この信長が滅してやるのだ」


「……………しかし…」


光秀は泣きたくなった


「………十兵衛…そちはわかっとらんな…」


「……………」


「あれは、木と金属で出来てるものぞな」


「………たとえ…木と鉄で造ったものなれども……」


「これだから教養人は困ったものよ」

信長は鼻で笑った


「……………」

「まやかされてるとも気づかない。十兵衛。愚かだな。神仏なんてない。死ねば何も残らんぞ。」


「…………」


「仏なりとかつぎまわって世々を騙してきているのが当の罪悪人じゃ」




「…………古き世より伝わりしものでござりまする」


「で、うぬはそれを態々言いにきたのか」


「………どうか、お考え直し下さいませ」

「ならぬな…」

「世の御評判も悪しゅう相成ります」


「ならば、うぬはどうしたいのだ?」

信長は覗きこんだ


「………党塔は焼かずとも僧侶の処分は追うのみ、あるいはいずれ流───」

「十兵衛!!」


ついに信長の大怒りに触れたようだ


立ち出すと大股で近付いてきた

光秀は身構える


「うぬは主の言うことが聞けぬのか!!」


信長は光秀の肩を抑え力いっぱい地面に叩きつけた


「うぬの愚かな将軍(善昭)が予を討つ為にあの僧侶共に策謀を企てたのだぞ!
うぬはどちらの味方だ!」

「…………それは…」


「信長なればこそそちを取り立てたぞ!」


先頭まで響き聞こえたであろう怒鳴り声


「……おそれ入り奉ります……」


「比叡山に念ずる朝廷のあの悪謀将軍の堕情さが因縁の繋がりよ。坊子は因縁に
のみに怨まれた!信長はそれを手掛けてやっただけだ」


「……………………」


光秀は頭を下げながら


しかし…!


しかしながら…!


と訴えたい思いを堪える


あまりにも平伏し過ぎて溜る涙がポタリと落ちてしまうのではないかと心配した




「うぬが焼かぬなら他に焼かせる」

「…………」


「予を見限らせる気か……」




一瞬の駆けをなされた

主君は右手を腰の鞘に手をかざしている


自分の一言で

一族焚殺の運命が待っているのかもしれない


それでも…



「……っ……それでも…!」


芯と貫き通す演技力の乏しい男は交す術を知らなかった

ただ酷過ぎる…!


少しでいい

懐柔なさって下されば…!




「阿ほぅっ…!!!」


腹の底から湧き出たように吐き出されたような重ったい罵声


斬られる──────!


光秀はやはりここでも神仏に唱えたように目を閉ざした



が、刃は飛んでこなかった



「…………腐敗信者は新しく理論を作り正義を固める。神の子だと勘違いさせぬことが義に値する」


「…………」


「指揮をとれ。二度とこの信長にもの言わすな。」


「……………」


「さればうぬの慕う家臣も焼く」






そう言い残して


「権六を呼べ。」


新たなる家臣を呼びつけた



「……………」


「もうよい下がれ」











先頭列に戻ると

家臣達は妙な面持ちで主君の戻りを待っていた


「………今から敵の本陣を焼き討ちとする」」


重い口で主命を伝えた

耳にした家臣達はやるせない様子でまた歩き始めた……


…………
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