小説

□「足らぬところ」
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宴の賑やかな声は程遠く

おぼつかない足どりを壁で抑えながらふらふらと退出する

頭の血脈が今にでも噴火しそうなほど熱い

もはや行き先の思考までも決断に届かず


倒れこむと同時に着いたのは宴会室から然程離れてない庭園池だった




「……………うっ…」


今までにない頭痛と噴き上がるような血脈

この顔に上昇する熱さ

大杯を進められたのが運の尽きであった

今日の大殿はすこぶる機嫌が良かった

度重なる戦の好戦に勲章を上げた重臣達を集め盃を交す


徹夜で飲み明かすのが男同士の意義の証であり常であったりする


今宵は家康率いる徳川軍の活躍により主役達は決まっていた


殿の回りに座り銘酒を恩恵の意に貰い盃を交していた


酒宴の空気は充実していた。

穏やかな時間は刻々と過ぎ、武士達はお互い戦の猛将ぶりを語り讃え合っていた。


なのに …







上段の床板の軋む音


城の主がスッと立ち上がった瞬間にさっきまでの騒ぎは一体何処へやら…


たちまちに粛然した


家臣達は回していた杯を置き座りながらも隣との列を整え頭を下げ始める


「よい。続けよ」


そう、一言。制止されたがさっきのような笑い声など掲げることはもう出来ない。


殿は先ほどの銘酒を手に持ち

狙いを定めるかのように左右に並ぶ家臣達の顔を見渡す



「……………」



黙視する家臣達はこれから何が起ころうか薄々予測していた


一番それを熟知していたのはとうの本人だったに違いない



ドカドカと足音を響かせながら

狙いをつけた主は一目散に一人の家臣の前に立ちはだかった

殿が見下ろす先にはやはりというべきか

この酒盛が始まる矢先から何やら控え目にその場の空気に居座っていた男

沈黙に伏っしながら己の前にいるお方に深く頭を下げ体を折り曲げている




─── ドカッ …


殿はその男の目の前に足を広げあぐらをかく



「───光秀よ。飲め」


先ほどの銘酒を大杯に注ぎ込み目の前の家臣に差し出した


普通なら盃は飲み手側が酌まれる為に手に持つのだが

この二人の場合は別だ


何から何まで主君が掌握するかのような手順



あぁ まただ


そう心の中で呟いた家臣達は少なくないだろう

殿には酒を飲むと何かといざこざを起こす性癖がある

酒乱の気は必ずこの目の前の男に全てが向けられた


同情と 半分羨ましく思うのは
後者の言葉は光秀には理解も出来ないだろうが…



大杯の盃を手にした光秀の手は震えていたようにも見える


目の前の主は彼が下戸でありながらも酒を進めることを楽しんでいた

笑みを浮かべ今にも飲むかと待ち望んでいる

光秀も全く飲めない、

というわけではなかった


朝倉家に使えてていた時も酒を捧げ奉ることもあれば逆もあった


そんな過去をたった今自分自身の励みに変えたに違いない



グッグッ …… と一気に


強引に喉に入れた光秀はそのあとの衝撃に目を丸くした


熱い ──!


喉から胃にかけて火傷したような熱さ


「────ッ…!!」


銘酒といえどこれ程の強さの酒は初めてだった


「誰が一度で飲めと言った。飲み方を学べ。それじゃ胃が焼ける。」


「……───…はっ…」


最後の意気を振り絞って殿の言葉に応える


クツクツと笑う主は周りにも酒宴を続けるように催促する


が、目の前から離れようとはしてくれなかった


まだまだ光秀いじりは続くようだ


光秀は血の気が引いた


その場にいた家臣達は見ぬふりをしてわざとらしく楽しむふりを続け出す


「上等の酒だ。有り難く頂け」

裏のないように親切にも感じる殿の言葉に光秀は何も言えない

それから悪夢が始まった…








───………










「……つ…─── はっ は…う…」



池の石畳で倒れ込む姿は誰にも見られたくない


下戸である故辛いのにも限度があった


息は荒くなり意識は朦朧とする

宴はまだ終わっていない


酔いを冷ますために少し離れただけだから直ぐに戻らなければならないのに


戻ってこないとまた殿の怒りに触れる




「………………くっ……」


下戸は武士であるべからず


そんな言葉を耳にしてから己の甲斐性につくづく苛立ちを覚えた

かといって治す術はない

これが明智光秀なのだ

改名したかといって豪酒者になれるわけでもない


定めなのだ


そう悟った








「殿…?」



後ろからいつも聞き慣れた声が耳に入る


ぼんやりしていた意識を取り戻した


見つかってしまった



「……………如何なされた!殿…!」


最後の力を振り絞って起き上がる


自分の体を支えにくる一人の家臣



「…………弥平次か……」

「………はい…!こんなところで…」

「…………水を持ってきてくれぬか…」


「…………!」

秀満(弥平次)にはすぐに察しがついた

これは信長の悪行であることを


「酔いを冷ましたかった……すぐ戻る」


「……その状態だと…もう…」


「……大丈夫だ…」


「……殿…」


「……早く戻らなければ…」


「……水を持ってきます。暫しお待ちを…」

「………すまぬ………」


「………」


不安げに悲しい表情を見せる主君の姿に

秀満は何ともいえない悔しさが溢れてきた



(我々の殿を…!)

(よくも……………!)

(おのれ…)



「では……」


秀満は足早に駆けて行った



(殿の為にも……)



主君の逆鱗に触れ、命を落とした家臣も少なくなかった

(殿に限ってあの信長様が切り捨てるような心配はないと思うが…)


(酒宴になるといつも信長様はこうなる)


(我々の主君を見つけ酒を無理矢理たしなめさせる………)










「奉行人」


台所に着いた秀満は台所奉行人を呼んだ

皆、宴の為忙しそうに料理をしている


「水をもら…」



そう告げると何故かそこにいる全員が地面に這いつくばってしまった


秀満は目を疑った


「___……え……」



そして異変を感じた

秀満は自分の後ろに何かが起こっていることを感じ


ゆっくりと


後ろを振り返った





_____…



_____…







光秀は困っていた


どうしたものか…


宴会場まで歩く気力はもうない

今だに熱は上昇し視界はグラグラ揺れている


おまけに気分も悪い


あの場へ戻ったとしても周囲の笑いものになるか面倒を預けてしまい羞恥する以
外何もない


どちらも嫌だ


武士といっては何だが己の意地である


あれこれ考えてるうちに倒れこんだ体はすっかり固まってしまった


出来るなら起きてさえいればまだ誰かに見付かったら理由は何かとつけられる


が、こうお手上げ状態のように助けをこう形であることがたった今の至難であっ
たりした





「……………秀満…」


いない者の名前をポツリ


根気よく体を起き上がらせるよう脳から身体へ指示を送る

それがうまくいかない


体は完全に停止状態となってしまった




「…………なんたる情けなさ…」











─── ザ …


───── ザ …


───────ザ…




突如、

庭の砂利の上を無惨にも踏み出し横行する音が聞こえてきた


それは迷いもなく一目散にだんだんこちら近付いてくるような気配を感じる



寒気がした

あの横暴ぶりは


あのお方しかいない








「………無様よの…光秀…」


冷めた口調


顔を上げると真上にはさき程の酒乱者


小袖に袴の姿で肩衣ははおっておらず

低い位置で帯を結び腰には小太刀を差している


ゆらりと現れた覇者は眉ひとつ変えず絶えず己を見下ろしてくる



なんたる羞恥

一番見られたくない人に見られてしまった


………─
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