短編小説

□ポケットの中
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 僕は左手用の手袋だ。名前はない。

第一、手袋に名前をつけている人がいたら見てみたいと思う。

わざわざ“左手用の”と限定するのにはちょっとした理由があるのだが、それは後で詳しく説明しよう。

 改めて僕の自己紹介をすると、僕は、いわゆる左手用の手袋で、全体が茶色でわりと編み目がしっかりとしている。

そしてこげ茶色の毛糸でところどころに模様が入っている。



 僕は、中国というところで生まれた。

それから日本に渡ってきて、或る県のN市という小さな地方都市にやってきた。

僕はその市の中心部のとても小さな雑貨屋の吊り棚に、値札をつけて飾られた。僕には一緒に中国からやってきた色違いの兄弟たちがいたんだけど、或る日兄弟たちのひとり……じゃなかった、ひと組が高校生になりたてぐらいの年の女の子に気に入られて買われていった。

 それから数日後、ひとりの女の子が店にやってきた。

このお店にはちょっとだけど化粧品やぬいぐるみ――つまり、いわゆる普通の女の子が好きそうなもの――も置いてあったから、そっちの方を見て、それから僕のいる吊り棚に目を向けた。

 その子は僕を手に取って、隣にいた兄弟たちと見比べて、しばらく思案してから僕をレジへと連れて行った。

 僕はその子が迷っていたのは値段のせいもあると思う。

僕につけられていた値段は千円だったけど、彼女の当時の小遣いは五千円だった。だからきっと値段を見て躊躇していたんじゃないだろうか。

 だけど消費税とやらがついたって、当時の値段は千と三十円。手袋にしては随分と良心的な値段だったんだけど――――。




 そして僕は花柄の袋に包まれて、家へと連れて行かれた。

何よりも驚いたのは、先に買われて何処かに行ったはずの僕の兄弟がいたことだった。

先に買って行った女の子と、今日、僕を買ってくれたひとはどうやら姉妹のようだ。彼女は妹が買ってきた手袋を見て、自分も買う気になったらしい。

 次の日から、僕は彼女と一緒に学校に通うことになった。

彼女は自転車通学なので、僕のおかげで手が冷えなくてすんだようで、それから随分重宝してもらった。





 ――――それから四年の歳月が過ぎた。

僕を買ってくれた彼女は高校を卒業して大学生となり、学生生活を満喫しているようだ。合格発表にも一緒に行ったけど、あの日の彼女の顔は今でも忘れられずにいる。

 そして僕は冬になるとコートのポケットの中で、いつ取り出されてもいいように準備をしている。

彼女はすごい寒がりなので、ちょっと冷えただけでも僕を取り出す。本人によれば『春生まれだから寒さに弱い』ということだが、僕は信用していない。

 でも、すごい寒がりの彼女も僕をしないときがある。

それは電車やバスの待ち時間に本を読むときだ。僕をしていると、本のページがよくめくれないらしい。

僕の兄弟たちも、彼女の妹によく使われているようだ。




 そんな或る日、大事件が起こった。

僕の相棒である右の手袋が突然いなくなってしまったのだ。

彼女が珍しく僕たちをカバンの中に入れて、家に帰ったところ開けてみると僕しかいなかった。

彼女はそれからとても一生懸命探してくれたけど、いつまでたっても見つからなかった。

 僕は次の日からずっと机の上に置かれていた。

四、五日が過ぎた頃に彼女はようやく諦めがついたらしくて、僕をタンスにしまう決心をした。

「仕方ないよね。片手だけじゃ使えないもの」

 僕の隣に防虫剤を入れたときに呟いた彼女の声は、まだ僕の中に残っている。




 彼女は近々新しい手袋を買う予定だ。

少し寂しいけれど、仕方がない。手袋は二つでないと存在の意味がないのだから。



 そろそろ空が白み始めてきた。

もう少し経つとこの家のみんなが起き出して来る。

入れ替わるように僕は眠りにつくことにしよう。




もう僕がポケットの中に入ることは、ない。

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